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2011年11月1日 【ベトナム】
(続)ベトナム流リスクヘッジ

Brain Works Asia co.,Ltd
田口 秀一


前回、ベトナム流リスクヘッジとして、「それいくら?」を紹介した。
本人たちはこれをリスクヘッジなどとは考えず、ごく当然のこととして
行っているのだが、これ以外にもあるのだろうか。


私の個人的な見解だが、これに類すると思われるものを挙げてみたい。


「それいくら?」と同じく身近な例でいうと、「賞味期限」が思い浮かぶ。
言うまでもなく、食べ物を食べることができる期限の日のことである。


気にするのが当たり前のだと思われるかもしれないが、普段、あれだけ
道端などで食事をしている人たちが、こと賞無味期限となると敏感に
反応するのは、大きな矛盾を感じるのである。


もちろん人にもよるが、スーパーで買い物をするときなど、きっちりと
賞味期限を確認し、一番後ろにある賞味期限が長いものを買ったりする。


私などは日本にいるとき、少々賞味期限を過ぎていても、もったない
から食べていたほうなので、ベトナム人が賞味期限を気にするのを
なおさら、敏感すぎると感じるのかもしれない。


つまるところ、衛生面と賞味期限は別物ということなのだろう。
この賞味期限チェックは身近なリスクヘッジといえる。


別の例を挙げよう。
よく言われることで、「ベトナム人は謝らない」「言い訳が多い」という
ことがある。根本には、誤ること=自分の非を認めることになるので、
「自分が不利になる」という考えがあるようだ。
要は、責任を取って損をしたくないのである。


ベトナム人の部下に注意をしたときなど、それこそ必死になって
言い訳や自己弁護をし、自身を正当化しようとする。
日本人が持つ「自分の非を素直に認める」という美徳の感覚とは、
かけ離れた点である。よって、ここでストレスを感じる日本人が多い。


私が読んだ書籍によると、これは戦争に明け暮れた国の
歴史的背景が影響しているのではないか、ということだった。
つまり、「ベトナム人にとっては、その日1日を生きていくことが何より重要
だった」ということと関連しているらしい。どんな理由を並べてでも、
自分の主張を通し、正当性を認めさせることが、自己の生存につながる、
ということのようだ。


そして、これは前回書いた「値段交渉」にもつながってくる。相場を知らず、
ぼったくられていては、自分がカモであると周囲に思われ、結果的に生きて
いくことを困難にしていたそうだ。
現在も、その意識が根深く残っているということなのだろう。


現代のビジネスの例を挙げると、契約書が挙げられる。
とにかく、なんでも厳密に契約書を交わしたがるのだ。
日本でも契約書は非常に重要なものだが、日本の「まず契約して
おいて、後で問題があったら相互に詰めましょう」という風習とは違い、
内容も厳密に書きたがる。


これはこれで、欧米のビジネス水準を考えてみれば、日本が変わっていて
ベトナム人は当然のことを要求しているともいえる。しかし、普段、
ルーズな中で契約だけを厳密に要求されると、違和感を覚えるのである。


その上、ベトナム人側から一方的に契約破棄されたり、契約違反をされる例は
少なくない。そのため、こちらはリスクばかり負っている感覚になってしまう。


「入居の契約をしていたビルが期日通りに完成せず、行き場がなくなった」
という経験をした企業は、それこそ数え切れないくらいあるだろう。


契約ごとはベトナム人側からすればリスクヘッジなのであろうが、相手側に
対する責任ばかりを求める傾向があると感じるので、注意が必要だ。


最後に、日本人にとってはアンビリーバブルな例を1つ。
ベトナム人の妻を持つ旦那様方には、門限というものがある。
そしてそれは、概ね21時である。


この時間を過ぎると、何か怪しいことをしているのではと疑われるのだ。
飲み会だけなら、21時まであれば帰ってこれるでしょ、ということである。
20時頃になると、旦那様方の携帯が鳴ったり、メールが届いたりして、
やや慌しくなる。これも、ある意味で奥様方のリスクヘッジといえよう。


このように、歴史や文化、習慣などの違いから、現地ならではのリスクヘッジ
があることがわかる。対する日本側も、それを知った上で、自分を守るために
備えておくべきであるといえよう。



 




 


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