アジアブログ

 

 

2009年5月20日
「カンボジアにも、多くの可能性を発見」

ブレインワークスグループ CEO 
近藤 昇


 前回に、引き続き、カンボジアについて書きたいと思う。


  ひたすら、ベトナムとの国境から約3時間強、ほぼまっすぐの道を走り続けて、ようやく首都プノンペンに到着した。







 
    



 後で、現地の日本人経営者に聞いたのだが、私たちがひた走ってきた道が、今、話題の第二東西回廊であった。


  これは、ホーチミンからミャンマーまで一気通貫となる強力な物流網のひとつだ。舗装の質も広さもまだまだであるが、これから急ピッチで整備されるそうだ。途中、フェリーでの川越えがあったが、ここも既に日本のODAで、橋の建設が決まっているという。





   



 “日本も良いことをしているんだ”と妙に感心した。

  首都、プノンペンに入る。まず、私が想像していた以上の都市の質、大きさに驚いた。




 
 
 



 バイクは明らかにベトナムよりは少なく、車が多い。


  この時期は、国全体がまるまる旧正月(ベトナムではテトと呼ぶ)ではないが、中華系やベトナム系の人たちは旧正月の様子。


  店なども、現地の人によると通常の1/4の込み具合だとか。どうりで静かに感じるはずだ。


  今回の訪問目的も、人つながりを頼って、カンボジアのビジネスを視察に来たわけだが、最初の訪問地は、日系の工業団地。






 
 
 



 まだまだ、タイやベトナムほどではないにしても、これからの発展の息吹を感じた。

 また、1990年代半ばの再生の時期からカンボジアに居住し、コンサルティングなどの企業支援ビジネスの実績を積み上げている社長。農業の可能性に目をつけ、ペッパーを栽培して主に日本に販売している社長。
ミャンマーからサンダルを仕入れてカンボジアで販売し、成功している社長。






 
 
 



 彼らと話していると、新興国の可能性の多さに驚くと共に、あまりにも、日本にいる日本人は、カンボジアのことがわかっていないと改めて痛感させられた。


  考えてみれば、私自身、ベトナムに来たことが無かった時のベトナムに対する印象も似た感じがあった。
わずか数年前までは、製造業の進出以外で何かをしようとすれば、他の人からはリスク要素としか思われなかったことを、昨日のように思い出す。


  カンボジアは、ベトナム以上に未知の国。
日本人が抱く印象のほとんどは以下に当てはまるだろう。
・未発展の国
・貧困
・内戦と地雷


  メディアの情報だけを鵜呑みにしていれば、カンボジア自体の変化を知る術はない。今の日本では、カンボジアにおけるビジネスチャンスの情報など、まずは伝わってこないのだ。


  ビジネスの話しだけでなく、もちろん、カンボジアが抱えた問題は深刻なものが数多くある。未だに、北部では地雷も残っている。今回お会いした方々は、口々にカンボジアの今を、日本に伝えて欲しいと言う。


  日本の中だけでいると、それこそ浦島太郎ではないが、10年も20年もの間、すっぽりと情報が抜け落ちていると感じざるを得ない。こういうことが、他にも山のようにあるのだろう。これからは、情報源をいかに持つかが勝負だと実感してプノンペンを離れた。







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